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東京高等裁判所 昭和41年(ネ)984号 判決 1967年4月27日

控訴人 株式会社恵比須電話店

被控訴人 大東京信用組合

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し金五〇万円およびこれに対する昭和四〇年二月二三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、主文第一項と同旨の判決を求めた。当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否については、つぎに付加、訂正するほか原判決の事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

被控訴代理人は、控訴人がその主張のとおり訴外株式会社川口化成研究所(以下訴外会社という。)に対し小切手金債権を有し、右小切手金の支払を命ずる確定判決を得たものであることは認めると述べ、控訴代理人は、訴外会社の被控訴人に対する本件の預託金は同会社が被控訴人に対し何時でもその返還を請求できるものであるから、その弁済期は預託の日である昭和三九年九月一六日に到来したものであると述べた。被控訴代理人は、控訴人の右の主張は、自白の撤回であり、異議があると述べた。

理由

訴外会社は被控訴人に対し控訴人主張のとおり金五〇万円の預託金返還請求権を有したものであること、控訴人は訴外会社に対し控訴人主張の債務名義を有し、右預託金返還請求権につき控訴人を債権者、訴外会社を債務者、被控訴人を第三債務者として、控訴人主張のとおり仮差押、差押転付命令がそれぞれ発せられ、送達されたことは当事者間に争いがない。

控訴人は、当審において、被控訴人の訴外会社に対する本件預託金の返還義務の履行期はその預託の日である昭和三九年九月一六日であると主張する。しかして、原審第三回口頭弁論調書には控訴人は被控訴人の主張事実はすべてこれを認める趣旨の記載があるので、控訴人は、右の弁済期は被控訴人が主張するとおり同年一〇月一六日であることを認めたかの如くではあるが、原審における弁論の全趣旨、とくに同弁論期日に控訴人が陳述した昭和四一年二月一一日付準備書面の記載によれば、控訴人は、被控訴人が手形交換所から不渡異議申立提供金の返還を受けた日が昭和三九年一〇月一六日であることは争わないが、その日が被控訴人の預託金返還義務の履行期であることは争う趣旨であつたことが認められるから、当審における控訴人の前記主張は自白の撤回とは認められない。よつて、この点についての被控訴人の異議は理由がない。しかしながら、手形交換所に対する不渡異議申立提供金の提供の依頼に基づき、金融機関が右提供金の預託を受け、これを手形交換所に提供した場合には、右提供金につき返還事由が生じ、これが手形交換所から金融機関に返還されるまでは、金融機関は右預託金を預託者に返還する義務を負うものではないことは、右の預託の目的からみて当然というべきである。したがつて、訴外会社が被控訴人に預託した本件異議申立提供金五〇万円は、訴外会社が預託後いつでも被控訴人にその返還を求めることができたのではなく、右の金員が社団法人東京銀行協会を通じ、手形交換所から被控訴人に返還された日であることが当事者間に争いのない昭和三九年一〇月一六日に至つて被控訴人においてこれを返還すべき義務を負うに至つたものと認められる。よつて、訴外会社の被控訴人に対する預託金返還請求権の弁済期は同日に到来したものというべきである。

つぎに、被控訴人の相殺の抗弁について判断する。

被控訴人がその主張のとおり訴外会社に対し二口の貸金債権を有し、その弁済期は、金四〇万円については昭和三九年一〇月二四日、金三〇万円については同年同月二五日であつたところ、同年七月両者間に、訴外会社に対し強制執行、仮差押等の手続が開始されたときは、なんらの通知、催告を要せずして、訴外会社の被控訴人に対する債務は当然期限の利益を失う旨の合意がなされていたものであること、被控訴人は、昭和三九年一一月一七日到達の書面で訴外会社に対し、右の金四〇万円の貸付元金と金三〇万円の貸付元金のうち金一〇万円の合計金五〇万円の債権と本件預託金返還請求権とを相殺する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

控訴人は、右の相殺の効力を争い、第三債務者である被控訴人の訴外会社に対する貸付債権は、その本来の弁済期が受働債権である本件預託金返還請求権の仮差押後でかつ同債権の弁済期より後に到来するものであるから、右の貸付債権を自働債権とする相殺をもつて差押債権者たる控訴人に対抗することはできないものであり、このような場合には、債務者と第三債務者との間に締結された自働債権についての期限の利益喪失の特約の効力は差押債権者に対抗しえないものであると主張するので、この点について考察する。

債権差押がなされた場合において、第三債務者は差押前に債務者に対して取得した反対債権を有するかぎり、その弁済期の如何にかかわりなく相殺をもつて差押債権者に対抗できるものと解すべきでないことは控訴人の主張するとおりである。すなわち、民法第五一一条の規定の趣旨が第三債務者の相殺についての期待利益を保護しようとするにあることに徴すると、差押当時両債権が既に相殺適状にあるときはもちろん、反対債権が差押当時弁済期に達していなくても、被差押債権の弁済期より前にその弁済期が到来するものであるときは、相殺をもつて差押債権者に対抗することができるが、反対債権の弁済期が被差押債権の弁済期より後に到来する場合には第三債務者よりは差押債権者の利益を保護するのが均衡上妥当であるので、相殺をもつて差押債権者に対抗しえないものと解するのが相当である(最高裁判所昭和三六年(オ)第八九七号昭和三九年一二月二三日大法廷判決参照)。しかして、本件の場合においては、第三債務者たる被控訴人の訴外会社に対する貸金債権はいずれもその弁済期が差押後で、かつ被差押債権の弁済期より後であることが明らかであるが、両者間には右の差押前に締結された継続的取引契約において前記のようないわゆる期限の利益喪失の特約が存在し、強制執行、仮差押等の手続の開始等の一定の客観的事実の発生によつて、当然に債権の弁済期が到来するものとされている。かかる期限の利益喪失の特約は、右の当事者において契約自由の原則に従い適法有効になし得ることはもちろんであり、差押債権者等の第三者に対する関係においても本来の履行期を定めた契約上の効力と異なる取扱をし、その効力を否定することは実定法上特段の根拠のない限り、その理由に乏しいといわざるを得ない。もつとも、かかる特約をもつて差押債権者に対抗しうるものとすることは、民法第五一一条の反対解釈をもつてしても差押債権者に対する相殺の対抗が許されない債権について、これを可能ならしめることとなり、自己の利益追及のための保全的措置として、私人間の特約により差押の効力を排除し、差押債権者の利益を不当に害する結果を生ぜしめるものであつて、差押制度の精神に反し、利益保護の均衡上許さるべきでないとする見解も一理はある。しかしながら、債権の保全的措置として相殺制度が利用された結果、差押債権者の利益が害されても、それはこのような債権関係にある債権を差し押えたところに起因するものであつて、これをもつて不当に差押制度を紊乱するものであるから、公序良俗に反し無効であるとは一概に断じ得ないところである。右の特約の効力を認めるかどうかは、結局差押債権者と第三債務者といずれの利益を保護すべきかという利益保護の均衡に関する見解に帰着すると考えられる。

ところで、民法第五一一条の法意は、第三債務者の相殺についての期待利益を差押により失わしめないというところにあり、反対債権の弁済期が受働債権の差押後に到来する場合においても、右の弁済期が被差押債権の弁済期より前に到来するものであるときには、右の期待利益は差押債権者の利益に優先して保護されるべきものと解すべきこと前記のとおりであるところ、反対債権の右の弁済期の到来が本来の弁済期においてであるか、一定の客観的事実の発生により弁済期を到来せしめる附帯約款に基づくものであるかによつて第三債務者の右の利益に差異を認めることは合理的根拠に乏しく、後者の場合に、弁済期の到来が差押手続の開始等の事実の発生にかかるからといつて、相殺の対抗力を否定しなければ差押債権者との関係において保護の均衡を失すると解すべき理由も見当らない。

控訴人引用の前記最高裁判決はその措辞から推して右見解に反するように解せられないではないが、期限の利益喪失約款の差押債権者に対する効力に関するかぎり、明白に右見解を否定したものとは考えられず、したがつて、控訴人の主張を当然に裏付けるものとは解し難いので、この点についての控訴人の主張は採用できない。

よつて、被控訴人の訴外会社に対する二口の貸金債権の弁済期は、前記特約により、控訴人の申請に基づき東京地方裁判所が発した訴外会社の前記預託金返還請求権に対する仮差命令の正本が第三債務者である被控訴人に送達された昭和三九年一〇月一日までには到来したものと認めるのが相当である。したがつて、被控訴人主張の自働債権(訴外会社に対する前記二口の貸金債権)は被控訴人が右仮差押前から訴外会社に対して有したものであり、その弁済期は、受働債権(控訴人の差押えた預託金返還請求権)より前に到来したものであるから、被控訴人は右の相殺をもつて差押債権者である控訴人に対抗できるものというべきである。控訴人は、右の相殺は民法第五〇五条第一項但書により許されないと主張するが、不渡異議申立提供金に供する目的で金融機関に預託された金員は、前記のとおり右異議申立提供金が手形交換所から金融機関に返還されるまで、金融機関は預託者にこれを返還する義務を負わないに止まり、その性質においては通常の預金と異ならないから、債務の性質が相殺することを許さないものであるということはできない。また、このような相殺が控訴人の主張するように信義則に反するとは認め難い。

以上のとおりであるから、控訴人が転付を受けた本件預託金返還請求権は、被控訴人の訴外会社に対する前記金四〇万円の貸金債権および金三〇万円の貸金債権中の金一〇万円の債権との相殺により消滅に帰したものと認めらる。よつて、被控訴人の右の抗弁は理由があり、被控訴人に対し右預託金の支払を求める控訴人の請求は失当として棄却さるべきものである。

よつて、右と同旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却すべきものとし、民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数 外山四郎 鈴木醇一)

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